混沌私見雑記

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ダイパリメイクが発売された今考える、ポケットモンスターはどうしてダメタイトルになってしまったのか

これは『ポケットモンスター』という子供向けゲームに仄暗い愛憎をいだいてしまっている26歳無職男性の手記である。
 
※文中にAmazonリンクが貼られておりますが本ブログはアフィリエイトの申請が下りていないザコです。画像を引用するのが面倒だったので代わりにAmazonリンクを貼っています。
 
目次

ダイパリメイク、ひどい出来でしたね

ポケットモンスター ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』が発売された。
世界中に切望に切望をされ続けた、待望のリメイクである。
 
しかし蓋を開けてみたところ、
 
・アレなグラフィック。
・追加要素ほぼなし。
・劣悪な操作性。
・あまりに多すぎるバグ。
 
という惨状であった。
あえて言うが、それはもう凄惨であった。
 
まず誤解のないように言っておきたいのは
・グラフィックは好みの問題であるのは確か。
・「原典版に忠実なストーリー、デザインのリメイク」は、けっして悪いものではない。
と筆者は思っている、ということである。
 
グラフィックについては、まあ、「これでいくんだ」と言われたんだから、それはしかたない。
グラフィックによってゲームの優劣は決まらない。
それ以上話すことはない。
 
また「原典版に忠実なストーリー、デザインのリメイク」だって悪くはないし、無難だし、これが丁寧にできれば文句はそうそう出てこない。
「原作にあまり手を加えない形」で非常に丁寧なリメイクが行われた例として『ゼルダの伝説 時のオカリナ3D』『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面3D』『ゼルダの伝説 夢を見る島(Swith版)』が挙げられる(デベロッパーとなったグレッゾ、とても優秀である)。
 
ただ、これまでのポケモンのリメイク作品はどれも原典版からかなり手を加えられてきた。
それは評判が良かった(FRLG,HGSS)にせよ、悪かった(ORAS)にせよだ。
そういった意味で今回のダイパリメイクは肩透かしだったと言える。
 
まあ「原典版に忠実なストーリー、デザインのリメイク」というのは発売前からわかっていたことなので、わざわざあらためて文句を言うつもりはない。
 
あえて文句を言うのならば『ブリリアントダイヤモンド』『シャイニングパール』というタイトルが「原典版からかなり手を加えた別物ですよ感」を演出していることだろうか。
ゼルダリメイクを見習え。「3D」ってつけただけのシンプルなタイトルだぞ。
タイトルが『ダイヤモンド・パール リメイク』とか『ダイヤモンド・パール 3Dリマスター』とかであればここまで炎上しなかったのではないかと思う。
 
まあ、それはいい、それはいいのだ。
 
問題はあまりに膨大なバグの数々である。
 
・フリーズ。
・詰みバグ。
・壁すり抜け。
・テキストバグ。
サウンド消失。
・座標ズレ。
・マテリアルエラー。
・道具、ポケモンの増殖。
・道具、ポケモンの消失。
 
本当に枚挙に暇がない。
ここに載せた以外にもバリエーションに富んだ様々なバグが報告されている。
 
しまいには「『シャイニングパール』でディアルガが捕まってしまう」というパッケージの根本を覆すバグまで存在する。
 
気になる人は「ダイパリメイク バグまとめ」などで検索してみるといい。
 
しかもこれ「がんばって粗探しをしてやっと発見できるバグ」ではなく「普通にプレイしていたらそれなりの確率で遭遇するもの」なのである。
 
これはまずい。
 
また、ポケッチの操作性が劣悪だったり、自転車での移動が終わっていたり、多くのユーザーが意図しないところで段差を飛び越える仕様だったり、テストプレイ時にストレスを覚えなかったのか疑問になる操作性
 
バグは「気がつきませんでした」で済むが(済まないが)、いくらなんでも操作性は改善できただろう。
 
先ほど「原典版に忠実なストーリー、デザインのリメイク」は決して悪いものではないと述べた。
 
しかしそのコンセプトでいくのなら、最低限の品質が保たれていなければならないはずなのである。
 
バグが頻出し、操作性が悪く、原典版との変更点が少ないリメイクであれば「それもうDSのダイパでいいじゃん」「プラチナが一番よくね?」に帰結してしまうのである。
 
現状、Twitterや5chは阿鼻叫喚の地獄となっている。
 
サジェストに「ダイパリメイク ゴミ」「ダイパリメイク バグ」が表示されてしまうなんとも不名誉な事態である。
 
そこでよく散見されるのが
「外注が作ったからだ」
ゲームフリークが作っていればこんなことにはならなかった」
という意見なのだが、筆者はそう思わない。
 
ユーザーがここ最近のゲームフリーク製のゲームを全許容してきた結果が、今回のダイヤモンドパールリメイクにも反映された、当然の帰結であるように思う。
 

ポケットモンスターはどこで変わってしまったのか

 
まず大前提として筆者は、近年のポケモンゲームとしての質が非常に悪いと思っている。
 
とか言うと妄信的な信者が突撃してきたりするのだが、あとでいろいろ提示するのでちょっと落ち着いて読んでほしい。
 
さて、ではポケモンはどこからダメになってしまったのか。
 
この手の「〇〇はどこからダメになってしまったのか」という話題、長く続いているコンテンツではよく語られるものである。
「BUMPはユグドラシルまで。そのあとからダメ」「FFは6まで。そのあとはダメ」みたいなアレだ。
 
ポケモンはどうか。
 
人によってさまざま意見があると思う。
「ブラック・ホワイトからダメになった」
オメガルビーアルファサファイアからダメになった」
「いやポケモンはずっとおもしろい」
といったように。
 
ハッキリしているのは第四世代(『ダイヤモンド・パール・プラチナ』と『ハートゴールドソウルシルバー』)は大傑作であり、ポケモンがゲームとしてひとつの到達点を迎えていることに疑いようはないということである。
 
その後どこからダメになってしまったのか。
 
というわけで、ポケットモンスターというゲームがどこから変わってしまったのか、筆者の独断と偏見……にならないよう、諸々の要素を考察、客観視して述べたいと思う。
 

ブラック・ホワイト(ブラック・ホワイト2)

「『ブラック・ホワイト』からダメになった」はまあまあよく見る意見である。
 
たしかに人間キャラクターの主張が強まり、ストーリーに厨二的要素が多くなるといった昨今のポケモンに見られる要素が萌芽したのはこの作品からだ。
それに嫌悪感を示した人は一定数いた。
 
それでも「ゲームとしてのクオリティ」は決して低いものではなかったと思う。
 
またポケモン作品としてあらたな試み(直接の続編)となった『ブラック・ホワイト2』は、前作の物足りなさを補い、ストーリーも補完するという素晴らしい出来だった。
単純なマイナーチェンジではないというところが評価できるポイントだ。
 
『ブラック・ホワイト』に低評価を押した人も『ブラック・ホワイト2』の出来にはさすがに唸っていたと思う。
 

X・Y

ドットから3Dに移行したことに難色を示したユーザーは少なからずいたので、ここで離れたという人が多い本作だが、ゲームとしての評判は悪くない。
 
筆者も『X・Y』は駄作だとは思わない。
むしろ新ハード・完全3Dの作品としてはかなりがんばっている。
ただ昨今のゲームフリークの悪い癖がはじまった最初の作品であるとは思う。
 
それはストーリーの説明不足である。
 
重厚っぽい設定をチラつかせるものの、それはあまり活かされず、最終的にはユーザーが置いてけぼりでエンディングを迎えるという、最近よく見るアレだ。
 
パッケージを飾る伝説のポケモンもぜんぜんストーリーに絡んでこなかった。
ゼルネアス/イベルタルは「悪の組織がデカい機械を作動させるためにエネルギーとしてどこからか連れてきた」というショボい出会い方をするため威厳がなく、「電池」というあんまりな俗称をつけられるハメになった。
 
マイナーチェンジ版でストーリーの補完がされるものだと思っていたら、結局ジガルデパッケージの作品は出ず、次の世代に移行することになる。
 
またマップデザインに露骨に力を入れなくなってきたのも本作からだ。
 
ポケモンはこれ以降(リメイク作品を除いては)重厚なダンジョンがまったく登場しなくなる。
 

オメガルビーアルファサファイア

 
・ストーリーの大幅な追加、改変。
・世界観設定の大幅な追加、改変。
・特定のキャラクターの大幅な改変。
・ネットの悪ノリを逆輸入したと思われるネタ。
・露悪的なネタ。
・下ネタ。
・エピソードデルタ。
 
好みの問題なのでこれらが一概にダメな要素とは言えない。
 
ただやりすぎた部分は多かったように思う。
 
薄ら寒いノリに辟易し本作でポケモンをやめたという人も少なからずいる。
 
ストーリーは賛否両論が激しい(どちらかと言えば否寄り)。
 
本編クリア後のシナリオ『エピソードデルタ』では、シリーズ史上でも随一のかなり異色なストーリーが展開され、新たな世界観の設定が発覚した。
ストーリーのノリは『ブラック・ホワイト』→『X・Y』でぐつぐつ煮こんできたものがある種の到達点を迎えたと言える(ほめてはいない)。
 
そしてこのノリと世界観設定は『サン・ムーン』へと引き継がれていく。
 
筆者はストーリー途中でラティオスラティアスを強制加入させるのはパワーバランス的にどうなんだとは思った。
初回特典で配布されたメタグロスと組めば圧倒的最強旅パが完成してしまうヌルゲーである。
 
ただ3DSのフルプライスのゲームとしての密度は保たれていた。
そういう意味ではここでポケモンが「ゲームとして」ダメになったとは言い難い。
 
ちなみに本作は昨今の主要作品でディレクターを務める大森滋氏がディレクター職を任された最初の作品である。
 

サン・ムーン

『サン・ムーン』からゲームとしての「完成度」がかなりあやしくなってくる。

 
これまでの作品では見られなかった粗が散見されるようになってきた。
 
一部キャラクターの掘り下げられなさ、一部Zクリスタルの設置場所の杜撰さ(コオリZはあまりにひどい)は目を覆いたくなる。
 
ストーリーは常に無表情の主人公がヒロインを介護しつづけるというもの(ここは好みの分かれるところではある)。
 
入り組んだダンジョンはなしの一本道。
 
うーん。
 
ここでジガルデがおざなりに処理されたことも納得がいかない。
「マイナーチェンジが出せないなら次回作で補完しちゃえばよくね」と無理矢理ブチこんだ感は否めないだろう。
なんでフランスから遠く離れたハワイに?
 
ただフルプライスのゲームとしての密度はギリギリなくはなかった。
 
ちなみに『サン・ムーン』のディレクターは大森滋氏
 

ウルトラサン・ウルトラムーン

筆者はこの作品で完全にゲームフリークのユーザーをなめ腐った態度が露呈したと思っている。

 
マイナーチェンジ版としてはプラチナ以来の発売となった今作だが、『サン・ムーン』からあまりに、あまりに代わり映えがないのである。
 
というか、そこだけ変えたんだみたいな箇所多すぎる(リーリエとのイベントが謎に削除される、国際警察関連、エンドロールが改悪されストーリー中の伏線が意味なしになるなど)。
 
マップグラフィック上には存在するゴルフ場も一部で物議をかもした。
ここはサン・ムーンでも存在していたが入れなかった場所で、おそらくマイチェンでカヒリ関連のイベントが追加されるんだろうな……と思っていたらまさかの追加なし。
 
ほかリュウキなどもカヒリ同様掘り下げなし。
マツリカの試練も手が込んでいない。
 
修正が期待された主人公の表情は相変わらず能面のまま。
 
ストーリーはネクロズマをなんとなく絡ませただけで大筋は変わらない。
 
なのにキャッチコピーは「もはや君の知っているアローラではない」。
 
誇張もいいところであった。
 
そして必要性があったのか疑問でしかない2バージョン発売という形態。
 
過去のマイナーチェンジ版である『エメラルド』や『プラチナ』の出来と比較するとあまりに残念であった。
 
「『完全版』を追加ダウンロードやアペンドROMではなく、フルプライスの単体作品としてリリースする」のであれば、それなりの完成度・追加要素が求められる。
 
『エメラルド』と『プラチナ』にはそれがあったが、『ウルトラサン・ウルトラムーン』にはそれがない。
どころか、オリジナル版の『サン・ムーン』から劣化していると感じられる場面も非常に多くあった。
 
ここで筆者は「ああ、ゲームフリークは完全にユーザーのことなめてるな」と確信した。
 
ちなみに『ウルトラサン・ウルトラムーン』は(次作で大量の削除があったため)史上最多のポケモン・技・システム(メガシンカとZわざ)を使えるゲームである。
 
そういう意味ではフルプライスのボリュームはあるとは言える。
が、ユーザーへの態度は最悪であることは否めない。
 

ソード・シールド

 
ポケモンはついに『ソード・シールド』で「現代にフルプライスで発売してもいいゲーム」としての基準を満たさなくなった
 
Switchの他のソフト……『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』『ゼノブレイド2』『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』などと比べてみてほしい。
 
あまりのクオリティの差に愕然としないだろうか?
 
もちろん挙げたのはどれも超大作のAAA級タイトルだ。
 
比べるべきではないという声も上がるかもしれないが、それはポケモンに失礼だろう。
ブランド力や売り上げを見るとポケモンがトップとも言えるわけだし、ならばそれなりのクオリティを求めるのはおかしいことではない。
 
『ソード・シールド』はポケットモンスター』というブランドを抜きにした「ひとつのロールプレイングゲーム」として考えると、あまりにお粗末な出来である。
 
これ以外に適切な喩えが思いつかなかったので乱暴な言い方になってしまい恐縮だが、『ソード・シールド』の「ゲームとしての欠陥」に気がつけないユーザーは「馬鹿舌」である。
 
・Swithのゲームとしては今ひとつなグラフィック。
・説明不足で意味不明なストーリー。
・そもそものボリュームのなさ。
・ネタ切れと思しき後半のジムチャレンジ。
・エンドコンテンツの物足りなさ。
・起伏がなく平坦で一本道のマップデザイン。
・ただ広いだけのワイルドエリア。
・あまりに杜撰なテキスト。
・散見される誤字誤植。
・ムービー中に映りこむマウスカーソル。
 
これらに気がつけないユーザー・あるいは気にしないユーザーは、普段ゲームをやっていないのではないだろうか。
 
……実際、やっていないのだろう(これについては後述する)。
 
『ソード・シールド』は人間キャラクターの主張や箇所箇所の演出には力が入れられており、たしかにそれらは魅力的ではある。
 
その大味でファストフード的な部分にのみに魅了され、細部の粗雑さに気がつけない・気にしないユーザーは「馬鹿舌」であろう。
 
『ソード・シールド』は「ポケモンがリストラされたこと」に批判が集まりがちだが、問題はそこではない。
 
ポケモンが大量削除されても、ロールプレイングゲームとしての完成度が高ければ納得はできた。
 
「ハードが変わってイチからいろいろ作り直すためポケモンの削除はやむを得ませんでした(各所でのゲーフリスタッフの発言による)。でも良い作品にするからゆるしてチョ!」と言いつつ、完成度が鬼低いゲームとなってしまったことが問題なのだ。
 
あと「イチから作り直す」と言いつつグラフィックやモーションは過去作から多く流用している。
ホップの動きなんて『サン・ムーン』のハウの動きまんまである(似ているとかではなくモーションを流用したので「まんま」)。
 
「ゲームを高いクオリティで提供するためにポケモンを削除する」というのは、シンプルに嘘だったのである。
 
第七世代(『サン・ムーン』)の数少ないポジ要素として挙げられるのは「登場するポケモンが削られていないこと」だったが、それすらできておらず、ロールプレイングゲームの完成度としてはお粗末な出来である『ソード・シールド』を、どう擁護できようか。
 
また発売後わずか半年でダウンロードコンテンツがリリースされ、たくさんのポケモンが追加されたことを考えると、当初より構想があったアンロック商法だと疑われてもしかたがない。
 
これでストーリーの完成度が高ければまだ目をつむれたものの、後半の展開は本当に意味不明だった。
 
詳細は割愛するが「ローズはなぜわざわざそのタイミングで暴走しなければいけなかったのか」については理由がまったく説明されなかった。
 
「ストーリー上ここで事件が起きると盛り上がるから」というメタ的な理由以上はなにもない。
 
また「なんで誰もこれにツッコまないんだろう」という粗が非常に多く散見された。
 
具体的に画像・動画つきで挙げてみる。
 

1.なぜか物語も佳境という位置に設置されている「キョダイマックスの説明が書かれたお得な掲示板」

序盤の町や道路で説明するような内容だ。
わざわざここに設置する必然性がない。
本当に意味不明だ。
 

2.ローズが大事件を起こし大会が中断されるにも関わらず、会場や街の様子が一切変わらない。

セリフが変化するのは受付の男だけ。
大事件が起きているのに他のモブはそのまんま。
こういったところが杜撰でなおざりだと本当に萎える。
 

3.街で釣りをしたのに道路のバトル背景になる。

テストプレイの際に必ず気づく場所だがだれも違和感を指摘しなかったのが不思議である。
 
これ以外にも粗を感じる場面は本当に多々ある。

主人公が梯子を乗り降りするときに周りの世界が硬直したり、キャンプでポケモンと触れ合うときのモーションがバトルモーションの流用で殴りがかってくるようにしか見えなかったり。
 
「重箱の隅を楊枝でほじくるみたいなもんだよこれは」などと言う人もいるかもしれないが、いや本当にそうか? けっこう大きい粗ではないか?
他の一流タイトルにはこういった「ん?」となる点はほとんど見受けられない。
 
ゲームフリーク技術力も意識も「携帯機止まり」のままだ。
 
発売当初、
信者やライトユーザーは「ポケモンはたのしい!」「キャラかわいい!かっこいい!」しか言ってなかったし、
アンチはアンチで「ポケモンリストラ反対!」しか言っていなかった。
 
ゲームとしての瑕疵について言及しているユーザーはほとんどいなかったのである。
 
それはある程度しかたがないことで、ポケモン』ユーザーのリテラシーが一般的なゲーマーに比べて特別低いのは否めない。
 
そもそも『ポケットモンスター』というコンテンツのメインターゲットは小学生以下の子供だし、
大人のユーザーでも普段から骨太のゲームをプレイする人は割合としてかなり少ないだろうし、
最もポケモンをやりこむ対戦ガチ勢は「ストーリーなんてどうでもいい」などと言ってしまう始末。
 
「そういうユーザーしかいないわけだし、おざなりかつなおざりにつくってもだれも気にしないでしょ。どうせ売れるし」という態度で制作されてしまったのが『ソード・シールド』というタイトルだった。
 
どれだけ適当に作ってもポケモンというだけで売れてしまう。
 
であれば開発費をかける意味はないわけで、グラフィックやモーションなんて流用でもいいしストーリーやマップデザインに力を入れなくてもいいというわけだ。
 
ちなみに『ソード・シールド』のディレクターは大森滋氏
 

ダイパリメイクが失敗した理由

 
最近のポケモンについて、パブリッシャーである任天堂はどう思っているのだろうか。
 
故・岩田社長がご存命のころはそれなりに介入していたイメージだが、『サン・ムーン』からは野放しになっている印象を受ける。
 
おそらく現在の任天堂株式会社ポケモンゲームフリークは「まあポケモンってだけで売れるし、低クオリティでも数打った方が出し得っしょ」としか考えていない。
 
とまあ、そんな会社らが制作・監修しているゲームなのだから、『ダイヤモンド・パール』のリメイクがああいった出来になったのも当然の帰結と言える。
 
「いや剣盾は神ゲーだけどダイパリメイクは特にひどかったぞ。剣盾はよくてダイパリメイクがよくない」という意見があるかもしれないが、それは単純にダイパリメイクが馬鹿舌にもわかる粗雑さで提供されただけだ。
というか、ついに「馬鹿舌にもわかる粗雑さまで落ちてしまった」と言うべきか。
 
もっと以前から叩かれてしかるべきだったゲームシリーズなのだ。
 
インターネット上では「イルカはクソ会社! ゲーフリはやっぱり神だった!」などと頭の悪い発言をするユーザーがわんさかいるが、ゲームフリークの態度を容認しつづけ擁護しつづけた結果が『ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』だ。
 
ゲーム制作はすべてがデベロッパーに丸投げされるわけではない。
 
しかも今回はディレクターにゲームフリーク増田順一氏が参加している。
これでゲームフリークに責任がないということにはできない。
 
叩かれがちなグラフィックだってゲームフリークの意向であることは間違いないだろう。
イルカはその気になれば重厚なグラフィックを描くことができるわけで(株式会社イルカ ILCA,Inc.|実績一覧)。
 
もちろんイルカを擁護するつもりはない。
 
結果としてバグだらけの残念クオリティのゲームをつくってしまったのは紛れもなくイルカだ。
そこは責められてしかるべきだとは思う。
 
ただ、イルカに全責任を押しつけるのは本当に頭が悪い。
 
与えられた納期・費用については想像するしかないが、おそらく不十分だったのではないかと思う。
 
バグに関してはたしかに発生の根源はイルカにあるが、しかしデバッグ時間が十分に与えられなかったであろうことは想像に難くない。
 
なにがなんでもと年末商戦に間に合わせた結果だろう。
 
これに関しては株ポケにも任天堂にも責任はある。
 
これが『ゼルダの伝説』のタイトルであればこの完成度ではリリースされていないに違いない(まあゼルダゼルダで開発期間が長すぎるのが問題だが)。
 
ゼルダにはゲームづくりのプライドがあるが、ポケモンにはそれがない。
 
ポケモンは子供を飽きさせないために短いスパンでリリースしなければいけないから、しかたがない」という声もあるが「いやじゃあ巨大な制作ラインをつくってそれなりのクオリティのものを普通に間に合わせたらええやろがい」と思う。
それができなければ短いスパンでリリースしようという方針自体がナンセンスだ。
 

「子供だまし」で終わってはいけない

 
ファイナルファンタジー13』『ファイナルファンタジー14(新生以前)』『ファイナルファンタジー15』が発売したとき、そのクオリティから非難の声が多く上がった(ここ最近毎回だな)。
 
手放しに評価している人はそう多くは見られなかった。
なんなら特にシリーズファンがとりわけ厳しかった。
ファイナルファンタジー』ほどのビッグタイトルであるにも関わらず、だ。
 
これはやはりユーザーの質にあるのかもしれない。
 
ファイナルファンタジー』をプレイするユーザーはあらゆる大作ゲームをプレイする傾向にあり、他の良質なタイトルにも触れているため、そういった意味で舌が肥えている。
 
ポケットモンスター』はどうしても子供とライトユーザーが主となるタイトルだ。
ゲームとしてのクオリティを厳しく見る目は育っていない。
それはしかたない。
 
ただゲームフリーク任天堂株式会社ポケモンはそこに甘えるべきではない。
 
ポケモンだから」と思考停止で手放しで擁護する信者があまりに多くいる現状もよろしくない。
 
筆者もTwitterポケモンの問題点について言及すると「ポケモンをバカにするな」「いやならやるな」という声をたくさんいただく。
この記事で挙げた問題点については反論せずに人格攻撃だけを行う人間がたくさんいらっしゃる。
 
ポケットモンスター』は、そういったユーザーのみなさま方に支えられてしまっているタイトルなのだ。
 
ライトユーザーに罪はないにしても、手放しで擁護するユーザーはタイトルの質を落としている要因のひとつだと言える。
 
今回の『ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』については「バグは味」「バグを楽しめよ」「致命的なバグはない」「みんな躍起になってバグを探しているだけ」「プレイ人口が多いから多くのバグが発見されるのは当然」「アップデートで修正されるだろうしOK」なんて擁護の声もある。
ちなみにバグは発売から1週間以上経過しても野放しのままである。
 
筆者は大学時代、児童文学を書いている講師からいただいた言葉に感銘を受けた。
 
「児童文学は『子供だまし』であってはならない。優れた児童文学は、大人の鑑賞にも堪えうるものである」
 
これは児童文学だけではなく、様々なコンテンツにあてはまるものだと思う。
 
ポケットモンスター』が仮に子供がメインターゲットの子供向けゲームであったとしても、昨今のクオリティでは「子供だまし」としか評価できない。
 
ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』における主人公のきせかえやポケモンのつれあるきだって「やってます感」を演出するためだけのものに終止している(デカいポケモンのつれあるきは目を覆いたくなる惨状だしな)。
 
ゲームフリークならびに関連会社が、人気と売り上げにあぐらをかかず、どうかゲーム屋としてのプライドを取り戻してくれることを切に願っている。
 
ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』を外部企業に委託してまでゲームフリークが自社制作している『レジェンズアルセウス』は、どのような出来になるのだろうか。
 
正直今のゲームフリークにあの規模の作品がつくりきれるのか疑問ではあるのだが、それを覆してほしい。
いや、覆さなければならない。
 
レジェンズアルセウス』の完成度によって、今後ユーザーのゲームフリークを見る目が変わってくるのは間違いないだろう。
 
それにしてもディレクターが発表されてないのが気になるところだが……。