日本の吹奏楽部は、教育に悪い

日本人は本当に「汗水流した努力、それからの成功」が大好きな民族で、それが若者だったり障害者だったりするとそりゃもう大喜び。まあその感性はわからなくはない。わからなくはないんだけど気持ち悪いね。


そんなわけで感動ポルノのシーズン、夏である。
高校野球吹奏楽コンクール。
とくに高校野球のほうは酷暑になればなるほど感動度が増す。カ~ッ!


本日は吹奏楽部の話をしようと思う。
吹奏楽」ではなく「吹奏楽部」の話である。


わたしは学生時代にずっと吹奏楽をやっていた。
木琴フェチという奇特な小学生だったので、それが高じて中学校で吹奏楽部に入学し、打楽器パートに配属された。
まさかあんなブラック部活とも知らずに。


まあブラックだった。
そこそこコンクールの成績が良い学校だった。
そこそこね。全国まであと一歩、という感じをウロウロしている言わば中堅の中学校だった。
しかしながらぼくの入学した時分はちょうど地区大会落ちがつづいている状態で、いわゆる低迷期であった。


顧問の先生もなんとしても地区大会を突破せねばというプレッシャーがあったと思う。
かつての古豪が地区落ち連発。顧問にしても生徒にしてもすさまじい重圧の中挑んでいたであろう。
そんな、中学校の部活なんだから、適度にやりゃいいものを。
土日も休みはなし、朝練はあたりまえ、練習は夜遅くまで。
上下関係はまあまあ厳しい。言葉遣いひとつ誤るだけでめちゃくちゃ怒られる。
サボったのがバレたりしたらミーティングで吊し上げだ。
書いていて吐きそうになってきた。


わたしはただ楽しく木琴が叩きたかっただけなのだ。
「なんでこんな厳しい部活に……」とゲロを吐きながらつづけることとなった。
ブラック部活は簡単にやめさせてくれないからね。
んなわけで吐瀉物の滲むような部活の日々。
遊びにも行けず(田舎なので遊ぶ場所はないが)、3年間を捧げることに。


わたしが1年生の時は地区落ち。
2年生で地区突破、北海道大会で金賞。
3年生で全国大会金賞。


まあ、やれることはやれたんじゃないですか。
おごりなく、わたしの代は全盛期だったと思う。たまたまだけどね。
わたしは下手だったし練習も効率悪いしでずっと怒られていたが。管楽器の人たちは本当に上手な人が集まっていたと思う。


3年生になったころ、わたしは完全にリビングデッドになっていた。
かなり問題児の新入生(精神が小学校三年生レベルで止まっている)が入学して、なぜか吹奏楽部への入部を希望してしまったもんで、そんな奴に繊細で高価な管楽器は触らせられないわけで、わたしのいるパーカッションパートに押しつけられてしまい(あれは完全に押しつけだろ)、顧問との仲は険悪になった。
マジでそいつの対処に追われる日々だった。本当に問題児でろくに練習できなかったからな。担任がわたしに直接「世話させてごめん」って謝りにきたレベル(顧問にはねぎらわれませんでした)。


そんなこんなで全国金賞とっても涙ひとつこぼせなかった。普段が、日常が苦行過ぎたので。
「まああんだけ苦しんだんだから、全国金くらいもらえなきゃ困るよ」という気持ちだった。かわいくない子供である。
多感な時期にえげつね~体験をしたので、確実に今の人格に影響を及ぼしている。


引退したあとの解放感はすさまじかった。こんなに生活って楽だったっけと思った。
部活は大嫌いだったが音楽のことは好きだったので、高校に入っても吹奏楽部に入った。
高校は本当に楽だった。楽しかった。
適度にゆるく、そしてまあやることはちゃんとやるかという感じで。

 


前置きが長くなりすぎた。
今日わたしが言いたいのは「日本の部活吹奏楽、教育によろしくない説」である。


諸悪の根源は全日本吹奏楽コンクールにある。
とまでは言わないけど、わりと大きくはある。
日本の吹奏楽はコンクールに重きが置かれすぎている。
利権と政治と忖度で汚れた、あの吹奏楽コンクールに。


「"コンクールで勝てる吹奏楽部"を作り、それを目当てにした学生を集める」のは日本全国の私立高校がやっていることである。
学校は優秀な指揮者(教員)を誘致するし(公立高校から引き抜くのはままある話だ)、技術のある学生を推薦で入学させたりする。
そして全国大会を目指す。全国大会に出場してよい成績をおさめれば、「わたしもあの学校で演奏して全国に行きたい!」という翌年度の入学生も増える。ビジネスである。


スポーツなどと違ってせつないのは、吹奏楽コンクールの全国大会に出場したところで、なんのキャリアパスにもならないことだ。


いわゆるコンクール強豪校(音楽に強いも弱いもないんだが)の吹奏楽部を卒業したからといって、プロになれるわけではないし、音大に入れるわけではないのだ。
キャリアパスにもならない、たかだかアマチュアのコンクールに若い時間と精神と親の金をかけるのは悲しすぎる。


「技術的には上手くなるので、音大受験の際は有利にはなる」という意見もあるかもしれないが、そんなことはない。そりゃまあもちろん吹奏楽コンクール強豪校を卒業してプロになる人もいるのだが。
本当に楽器のプロを目指すのであれば「吹奏楽」に集中したり「吹奏楽部」にかまけている場合ではない。もっと「専門的なレッスン」を受けるほうが、音大に入れる可能性は100億倍上がる。ピアノを弾いたり音楽理論を勉強したり古今東西の曲を研究・演奏したりしなければならない。なにより普通に学校の勉強をめちゃくちゃする必要がある。
学校によっては現役プロの外部講師を招くこともあるので、たしかに良質な指導を受ける機会にはめぐまれるかもしれない。
しかし結局は団体の中のひとりとして、吹奏楽コンクールで勝つための指導をされるのだ。「コンクール映え」となる演奏になるよう仕上げられるのである。
卒業したところで「コンクールで勝てる人間」が出来上がるだけだ。吹奏楽コンクール強豪校を卒業したところで、30分の交響曲を初見で演奏できるようにはならない。
キャリアパスにならないどころか、日本の吹奏楽部がやっている「音楽」は、本来の音楽表現とはかけ離れたところにあり、それ故に「教育」に悪い。


楽譜の指示を無視した爆速で爆音の演奏のオンパレード。
海外のある著名なクラリネット奏者が全日本吹奏楽コンクールを目にした際に「ここは本当に吹奏楽のコンテストかい? 技術オリンピックかと思ったよ」と言ったのはあまりにも有名な話(ちなみにこれは今考えた嘘です)。


「音楽は心だ」
「普段の生活態度が音に出る」
と、全国大会出場常連校の指導者がテレビで言っているのを前に観たのだが、いやあんた、楽譜めっちゃ改竄してるやん。
作曲家からクレームがきたらしいじゃないか。そんな人間が、音楽がなにかを説くとは……。


吹奏楽コンクールの総演奏時間は12分である。これを超過すると失格。
課題曲と自由曲をこの12分間の中で演奏しなければならない。
課題曲は3〜5分程度。残りの時間で自由曲を演奏する。


この自由曲については、各学校本当にやりたい放題である。


自由曲を演奏できるのは7〜9分程度である。
この時間内に収められるよう、各学校は自由曲に「カット」を施す。
演奏時間に12分要するの曲を6分などに短縮させるのである。
もちろん本来非常によろしくない行為である。
ただまあ「最初から時間内に収まる曲を選曲をしろ」というのもそこそこ無理がある話なので、これはまあある程度ゆるされてしかたないことだろう。


問題は、あまりに強引なカットの横行である。


多楽章構成の30分を超える交響曲がカットを施され、「派手なところをかいつまんだハイライト版」として演奏されているのだ。
そりゃ「時間内に収まる曲を選曲をしろ」とは言わんが、わざわざ長大な交響曲を選ぶのはあまりにナンセンスである。最近だとマッキー作曲の交響曲『ワインダーク・シー』がよく演奏されているが、あの曲が三楽章構成だということを知っている人はどれだけいるだろう?
全国大会で初演された団体の「名演」のカットが丸々参考になったりするのが、また行儀が悪い。


教育とは本来、多楽章構成の交響曲をじっくり嗜み、分析し、カットせず演奏することではないだろうか。
時間無制限の定期演奏会ですら「カット」されて演奏されるのは、なんとも悲しいことではないか。


標題音楽にも関わらず作曲者の意図を完全無視したカットも本当にひどいものだ。
天野正道の『おほなゐ 〜1995.1.17 阪神淡路大震災へのオマージュ〜』は、おそらくコンクールで一度も「作曲者が納得するカット」の演奏はされたことがないだろう(天野先生がどう思ってるかは知らんがわたしが作曲者であれば怒るようなカットばかりである)。
『おほなゐ』はタイトルの通り阪神淡路大震災の情景を描いた曲である。
この曲は、神戸の活気あふれる街を表現するポップス場面の演奏中、パーカッションと低音楽器の強奏がいきなりわりこみ、一気に激しいパートへ突入し、「平和が地震によって一瞬で瓦解する」様を描くのだが、多くの団体はこの「地震が起こる神戸の平和な街」の描写をカットしてしまうのだ。
前奏部をそこそこに演奏したあと、なんの前触れもなく、いきなり地震を起こしてしまうのである。標題音楽として成り立っていない。成り立たせる気がない。ちなみにこの『おほなゐ』も三楽章構成で30分ほどある曲である。


他にも例を挙げるとキリがない。いきなり処刑される『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』とか……。
ちなみにみなさんがよく知っている卒業式合唱の定番曲『大地讃頌』も、実は『土の歌』というカンタータの最終楽章にある歌なのだ。『土の歌』は人間の醜さと自然のすばらしさを歌った壮大なカンタータ(大規模な合唱とオーケストラから成る楽曲のこと)である。戦争の愚かさや人の罪を表現した何曲かを経て、最後の最後に歌われるからこそ感動が爆発する曲なのだが……なぜあれだけ抜粋して卒業式で歌われているのか謎すぎる。
とにかく、吹奏楽ではなぜか「なんで作曲家の意図を考えずにここだけ抜粋したの?」といったことがよく行われているのだ。


カットは、ルール上いたしかたない部分もあるため、まだ1000000000歩ゆずるとして、派手に曲を魔改造するのは本当にわけがわからない。


本来楽譜には指示されていない打楽器を「派手になるから」という理由でつけたしたり、最後になぜか全員でハーモニーを演奏するフェルマータを追加したり、トロンボーンがソロをとるところをトランペットに変更したりと、「それやったらコンクールの点数が上がるんですか?」みたいな「編曲行為」の数々。
これがはたして教育か、と。


吹奏楽コンクールの指導者なんてのは、つまるところアマチュア音楽団体の音楽監督でしかない。
そんなアマチュア人間たちが我が物顔で「編曲」を行うのである。
プロの作曲家からしたら、たまったもんじゃない。


近年全国大会では演奏されないことはないんじゃないかというド定番曲に高昌帥の『ウインドオーケストラのためのマインドスケープ』があるが、あの曲を楽譜通りに演奏する学校は本当に少ない。「改変することがスタンダード」となっている、奇妙な事態なのである。
この曲は最後に低音楽器の突き刺すような重苦しい音で終止する。

 


ウインドオーケストラのためのマインドスケープ -Mindscape for Wind Orchestra-

 
上記の動画が正しい楽譜通りの演奏。
しかし、コンクールではラストにHigh Cを付け足してド派手に終える団体がほとんどなのである!!!!!!!!!!!なぜだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
一番最初にどっかの団体がHigh Cを付け足したのをまたどっかの団体が真似して……という流れなのだろうが。なぜ、アマチュア団体の改変を参考にしてしまうのだろう。
この曲の最後は各団体異常なくらいイジり倒している。コンクールでは改変されずに演奏されることのほうが少ない、本当にかわいそうで稀有な例である。あまりの改変されっぷりに「High Cで終わるのが通常」と思いこんでいる人も少なくはない。

 


とまあ、このように、「吹奏楽コンクール」は生徒集めのための技術オリンピックの側面が大きく、そこに至る過程は本当に精神修行である。トラウマも生まれる。
反動でわたしのような自堕落でズボラな人間も生まれたりする。


あまりにも「卒業後になにも残らない」現状はいただけない。
私の中学から全国常連校に行った同級生は、大学に入るやいなやあっさりと楽器をやめてしまった。彼女は「部活動が好き」で「そこで活躍している自分が好き」で「全国大会に行って達成感を得たかった」だけなのでは? と思ってしまう。本当に音楽が好きだったのだろうか?
このような子供は多いらしい。部活が終わったらそれでおしまい、吹奏楽部でおしまい、という子供が。
もちろん楽器をつづけるのはかんたんなことではないが、興味のあることには関心をもちつづけるはずなのだ。
音楽は、演奏しなければ聴くことはできる。なのに、部活卒業後には演奏会にすらまったく行かなくなる者がほとんどらしい。


そして「吹奏楽部」で育った人間は「吹奏楽コンクールでよく演奏される曲」と「ポップスステージでよく演奏されるポップスアレンジ曲」だけで世界が完結してしまうのだ。
クラシックにも現代音楽にもジャズにも興味をしめさない。
曲を参考にする際は、プロの演奏ではなくコンクール全国大会常連団体の改変やカットを聞いてしまう。
リテラシーが、あまりに低い。


そしてなまじ自信だけはついているから、すぐに音楽的なことで他人にマウントをとってしまう。悲しいことに、これが「教育」の結果なのである。
キャリアパスにならない云々はおいておいて、リテラシーやモラルの低い人間が製造されつづけているのは本当によくないことだと思う。


本当に問題を挙げるときりがない。吹奏楽コンクールは政治による支配と忖度が見え隠れしているし(全日本吹奏楽連盟の理事長が自ら指揮を振っているのはいかがなものか)、最近は邦人作曲家の新曲発表会の側面も強くなってきた(コンクール映えだけを追求しているんじゃないか? と勘ぐりたくなる曲も増えてきた。まあビジネス上しかたがないし、むしろ邦人作曲家の曲が演奏される機会が増えるのはよろこばしいことなのだが)。


もちろん吹奏楽コンクールや吹奏楽部が完全に悪者というわけではない。
強豪校の顧問だって、そりゃ全員が音楽的犯罪者というわではないはずだ。まあ彼らはビジネスのためにコンクールで勝つバンドを作らなければならないので、しかたない部分も大きいのだが。
そもそもわたしが今もなお音楽をつづけているのは中学校に吹奏楽部があったからである。
吹奏楽部は日本全国の小中高校に部活動として設置されている。部費さえ払えば安価に器楽合奏にとりくめるのはすばらしいことだ(吹奏楽目的で私立校に行ったりすれば莫大な金はかかるが)。


それだけに、だからこそ、教育に悪いことを行ってはならないと、わたしは思う。
曲の改竄以外にも、団体間でのコピー楽譜の貸し借りとか、ね。
そして吹奏楽民たちは(もう大人になってしまった人も)、吹奏楽部の指導に騙されず、もっと吹奏楽"部"以外の広い音楽の世界に興味をもってほしいなと願う。