混沌私見雑記

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太宰治は、ポップな作家である

太宰治、読んだことありますか。

人間失格』と『走れメロス』 の二作だけしか読んだことがないのであればそれは「読んだことがある」とは言えねーからな(冒頭から謎の喧嘩腰)。

それはBUMP OF CHICKENで言ったら『天体観測』と『カルマ』しか聴いていないようなもので、大栗裕で言ったら『大阪俗謡による幻想曲』と『神話』しか聴いていないようなものなのだ。


太宰治は日本近代文学の作家の中で……いや日本文学史上、もっとも有名な小説家といっても問題ないはず。
街を歩く人に「太宰治知ってる?」と訊いたらみんな当然知っているというだろうし、渋谷のギャルでも「んあー? 名前だけは聞いたことある気がするくね?」と答えるにちがいない。
でも 『人間失格』と『走れメロス』 以外の作品を読んだことがある人は、日本人の30人にひとりもいないと思います。こんなに有名な作家なのに!


みなさん太宰治にどんな印象がありますか?


「暗くてジメジメした小説ばかり書いている心中厨のナヨナヨのおっさん」


まあだいたいは合っている。


いや待てよと。それだけじゃないんだ。たしかに暗くてジメジメした部分がわかりやすいからフォーカスされがちだけど、みんななぜ太宰治はポップだということに触れないのだろう?
太宰好きもこの点について語ることが少ないなと思います。


そして『人間失格』と『走れメロス』だけで太宰治を知った気になるのは早計すぎるんだぜ。

とりあえず『走れメロス』について思うところを書いてみます。
 

走れメロス (新潮文庫)

走れメロス (新潮文庫)

 


走れメロス』の梗概
「人間不信のためにめちゃくちゃ人を処刑しまくっている王様、に激怒した羊飼いの青年・メロス。メロスは王様の暗殺を企てて城に潜入するも衛兵につかまり、王の前に引き出される。もれなく処刑されそうになるも『処刑は後日受けるから、その前に妹の結婚式だけ挙げさせてちょ! 友達のセリヌンティウスを人質にするから!』と言って親友を身代わりにあずけ、急いで村に帰り、無理矢理妹の結婚式を挙げ、川の氾濫や山賊の襲来に見舞われながらもなんとか急いで城にもどると『お前マジでもどってきたんか! 死ぬの怖くて絶対逃げると思ったわ!』と王様感動、ふたりを釈放、メロスは疲労、服はボロボロ、全裸でボロン、赤面ポロポロ」


うーん、まあ道徳的といえば道徳的なアレを読みとれないこともないから(太宰は絶対そんなこと意識してないと思う)、教科書に載せやすかったのかも。「文章が平易で原稿用紙26枚の短編だから」という側面もデカい気はするんだけども。


でも『走れメロス』ってよくよく考えて読んでみると、やっつけで書いた感ない? 太宰治風に言えば「やっつけで、書いちゃった」感ない?


ところでハチャトリアンの有名なバレエ音楽に『ガイーヌ』というのがありまして、特に有名な章が『剣の舞』という曲なんですけど、みなさん知っていますか? 絶対聞いたことがあると思うのでピンとこない人はYouTubeなどで調べて聞いてみてください。


『ガイーヌ』には当初『剣の舞』は含まれていませんでした。しかし初演前日(前日!)になって「クルド人が剣を持って戦いの踊りを踊る」場面が追加されることになり、ハチャトゥリアンは急遽その場面のための曲を作曲する必要に迫られ、一気に曲を作り上げたんですよ。


この無理矢理建設した一夜城の『剣の舞』は予想外にも大ウケ。今日でもWikipediaに『ガイーヌ』とは別で単独記事がつくれられるくらい有名。「『剣の舞』を書いたおじさん」「『剣の舞』で有名なおじさん」というを扱いを受けることになったハチャトリアンは「なんであんな一晩で書いた曲が特に評価されるんだ。こんなことになるなら書くんじゃなかった」嘆いていたとのことです。みんなもっと『剣の舞』以外を聴いてさしあげろ。『ガイーヌ』を通しで聴いてさしあげろ。


太宰治における『走れメロス』=『剣の舞』説あると思うんですよね。急ピッチで書いたんだろとは思わないけど、他作品と比べると練られていないところが多すぎるというか。でも、有名になっちゃった。


太宰治に「先生、先生の小説はなぜか『走れメロス』がとりわけ有名ですよ。教科書にも載っていらっしゃる」と伝えてみたい。それはもう驚くに違いない。「ええっ、なんで『走れメロス』なんだ」と狼狽するのではないかしら。


ちなみに『走れメロス』は着想のエピソードがまあまあゴミなんですよね。以下Wikipediaから引用です。


懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、妻が「きっと良くない生活をしているのでは……」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」と依頼した。
往復の交通費と宿代等を持たされ、熱海を訪れた檀を、太宰は大歓迎する。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきた金を全て使い切ってしまった。飲み代や宿代も溜まってきたところで太宰は、檀に宿の人質(宿賃のかたに身代わりになって宿にとどまる事)となって待っていてくれと説得し、東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。
数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀が、宿屋と飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、二人はのん気に将棋を指していた。太宰は今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいたのであるが、激怒しかけた檀に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。
後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と『小説 太宰治』に書き残している。


なかなかのクズエピソードやで。川端康成は「太宰は私生活がだらしないから芥川賞あ~げない」と言ったそうですが、教科書出版社はよくもまあアル中でヤク中で女たらしで心中した奴の書いた文章を載せて文部科学省はそれをゆるしてるよな。

文章も軽妙、展開もコミカル。着想元はとってもポップ。


ちょっと『走れメロス』の話が長くなりすぎた。
以下はもう一方の代表作、『人間失格』について。
 

人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)

 

 
みなさん「とりあえず読んでおこう」の気持ちで読んだことがあるのでは? 日本文学史上もっとも読まれた小説なのではなかろうか。そしてこれからもずっと読まれていくのであろう。


あらすじは「大庭葉蔵という生まれてからずっと道化を演じつづける男がめちゃくちゃ女にもてたりするけどヤク中になったり貧乏になったりで荒んだ生活を送る」という話です。これだけでだいたい説明終わるんだからすごいな。


「恥の多い生涯を送ってきました。」
「生まれて、すみません。」
「人間、失格。」
というパンチラインの数々。ポップですよね。そう、ポップなんです。


あらためて、みなさんちゃんと太宰治のこと読めていますか?


「暗くてジメジメした小説ばかり書いている心中厨のナヨナヨのおっさん」 というイメージが強いですが、そんなこたぁない。暗くてジメジメした部分か、教科書に載っている『走れメロス』ばかりフューチャーされているけれど、それだけじゃあない。


人間失格』も、たしかに主人公とそれを取り巻く環境はとても荒廃としていますが、それを最後まで人に読ませることができるのは、一貫して文章や台詞回しがとても諧謔的だからなんですね。とってもポップ! 70年くらい経っても褪せないポップさ。


佐藤友哉先生がいくつかの戦後文学について語った著書の中で、こうおっしゃられていました。


「一級品の文学なんてものは誰でも書ける。ポップでなければ、時代にとり残される」


吉川英治が消え、横光利一が消え、井伏鱒二が消え、田山花袋が消え、武田泰淳が消え、志賀直哉が消えかけ、三島由紀夫すら消えかけようとしている今、太宰治がずっと強い存在感を放っているのは、とりわけポップだからではないでしょうか。


太宰作品をちゃんと読んでみると、とても平易で軽妙な文章であることがわかります。暗くてジメジメした小難しい文学ではありません。暗くてジメジメしたところはもちろん多いですが、そこだけに着目するのはもったいない。ていうかあの時代の人だいたい暗くてジメジメしてるだろ、デフォで。


題材もポップなものをとりあげたりしています。『御伽草子』は「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」といった童話を太宰がアレンジしたものです。太宰らしい外連味たっぷりの小説になっています。


暗くてジメジメしたところだけフォーカスされがちだけど、みなさんちょっと違う読み方をしてみてほしいなと思う次第にございます。


そんなわけで以下、「短時間でサッと読める! 太宰治のポップな短編」のおすすめ三選です。青空文庫からすぐに読めるぜ!


これはたまたまなんですけど、挙げる三作はすべて女性一人称の作品ですね。太宰は好んで女性一人称を使いました。代表作のひとつ、『ヴィヨンの妻』も女性一人称だったり。 


①女生徒

www.aozora.gr.jp

これは外せないでしょう。有名だからわざわざ挙げることもないか?
ファンから送られてきた日記をもとにして書かれた短編。14歳という諸々が年頃の女の子が、朝起床してから夜就寝するまでの気持ちの移ろいを描いた作品。
太宰の書く女生徒がキモいくらい女生徒。けっして「お耽美」にはならず軽妙で、すごいバランスで書かれていると思います。


②饗応夫人

www.aozora.gr.jp

わたしが一番好きな作品。
ある未亡人の家に亡き夫の友人が入りびたるようになり、もてなし狂の奥様がクズ男をもてなしまくるという救いのない話、をとてもコミカルに描写した短編。本来悲惨であるはずの事象をここまでコミカルに描くのは並大抵のことではないよ。


③十二月八日

www.aozora.gr.jp

日本軍の真珠湾攻撃にともなう日米開戦を受けて書かれた作品。
開戦の朝にわくわくそわそわしている主婦の日記、という体の短編。出てくる「主人」のモデルは太宰治本人でしょう。
一見国威発揚のためのプロパガンダな国策小説ですが、それは見せかけだという説があります。

 

「日本は、本当に大丈夫でしょうか」
 と私が思わず言ったら、
「大丈夫だから、やったんじゃないか。かならず勝ちます」
 と、よそゆきの言葉でお答えになった。主人の言う事は、いつも嘘ばかりで、ちっともあてにならないけれど、でも此のあらたまった言葉一つは、固く信じようと思った。

 銭湯へ行く時には、道も明るかったのに、帰る時には、もう真っ暗だった。燈火管制なのだ。もうこれは、演習でないのだ。心の異様に引きしまるのを覚える。でも、これは少し暗すぎるのではあるまいか。こんな暗い道、今まで歩いた事がない。一歩一歩、さぐるようにして進んだけれど、道は遠いのだし、途方に暮れた。あの独活の畑から杉林にさしかかるところ、それこそ真の闇で物凄かった。

 

たしかに勘繰りたくなる表現は多いですが、どうなんでしょうね。他にも若い人が出兵することや市場に品物が薄いことへの不安が書かれていたり。
このへんは先ほど挙げた佐藤友哉先生の著作でも書かれているので、気になった方はぜひ読んでみてください。
ちなみに当時実際の妻であった美知子氏はこのように回顧しています。

長女が生まれた昭和十六年(一九四一)の十二月八日に太平洋戦争が始まった。その朝、真珠湾奇襲のニュースを聞いて大多数の国民は、昭和のはじめから中国で一向はっきりしない○○事件とか○○事変というのが続いていて、じりじりする思いだったのが、これでカラリとした、解決への道がついた、と無知というか無邪気というか、そしてまたじつに気の短い愚かしい感想を抱いたのではないだろうか。その点では太宰も大衆の中の一人であったように思う。

ううむ。とにかく国策小説であろうがなかろうが、大国との戦争開始という緊迫感の中で書かれたとは思えない軽妙さがベリーグッドな短編。

 

このシリーズ、次はだれにしようかな~。新海誠のこと書いたらみんな読んでくれる?
 

転生! 太宰治 転生して、すみません (星海社FICTIONS)

転生! 太宰治 転生して、すみません (星海社FICTIONS)